秋田地方裁判所 昭和48年(わ)87号 判決 1973年10月05日
主文
被告人を禁錮八月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事していたものであるところ、昭和四七年一一月二五日午後七時四〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、秋田県河辺郡河辺町赤平字田中一五五番地附近の歩車道の区別のない有効幅員約5.45メートルの道路を、前照灯を下向きにしたまま時速約六〇ないし六五キロメートルで、同町岩見三内方面から同町和田方面に向かつて進行したのであるが、当時降雨中で路面が濡れていたのであるから、このような場合自動車運転者としては、減速するとともに前方を十分注視しながら進行して、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前記速度のまま前方を十分注視しないで進行した過失により、おりから進路前方を対向歩行中の田口勇蔵(当時五一才)を約6.3メートルに接近してはじめて認め、自車左前部を同人に衝突させて同人を路外にはねとばし、よつて、同人を頭部外傷・脳内出血によりその場で死亡させたものである。
(証拠の標目)<略>
(本件車両の速度について)
弁護人は、前掲実況見分調書によれば、被告人がブレーキを踏んでから停止するまでの距離は19.1メートルであるから、衝突前の本件車両の時速は六〇キロメートル以下であつたものと認むべきである旨主張しているが、被告人は、本件車両の衝突前の速度について、司法警察員に対する供述調書においては時速五〇ないし六〇キロメートル位であつたと述べているが、実況見分調書、検察官に対する供述調書および当公判廷においては時速六五キロメートル位であつたと述べていること、また、湿潤したアスファルト路面の摩擦系数については、一般に0.5ないし0.6の場合が多いと考えられるが、道路自体の表面の状態によつて異なり0.76の場合もあり得るものとされていること、被告人の供述によれば本件車両は昭和四七年三月新車を購入したものでタイヤも新しい状態であつたこと、実況見分調書によればいわゆる空走距離と認められる同調書添付現場図②④間が10.28メートルであること等の事実を合わせ考えると、本件車両の衝突前の時速は約六〇ないし六五キロメートルであつたものと認めるのが相当である。
(前方不注視の過失について)
いわゆる段階的過失論によれば、本件の場合は減速せずに高速で走行したことのみが過失であつて、前方不注視は過失とならないものとされるが、本件の場合のように、減速義務のみではなく、前方注視義務をも履行しなければ事故を回避することができないときは、高速走行とともに前方不注視もまた過失の内容をなすものと解するのが相当である、
(法令の適用)
一 判示所為について 刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号
(禁錮刑選択)
二 執行猶予について 刑法二五条一項
三 訴訟費用の負担について 刑事訴訟法一八一条一項本文
(量刑の理由)
本件事故は、被告人が自車の前照灯を下向きにし、障害物確認可能の距離が約三〇メートルであるのに、判示のような高速のまま、前方を十分注視しないで走行した過失により、歩行者をはねとばして死亡させたもので、過失の態様、程度、惹起した結果のいずれの点からみても、その責任は相当重いものといわなければならない。
しかし、前掲証拠によれば、被告人は、当日いとこが危篤であるとの知らせを受けて、その見舞に赴く途中本件事故を起こしたもので、さきを急いでいたことが本件過失の誘因となつていること、また、実況見分調書、田口博一の司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、被害者は、当目午後一時ころから七時三〇分ころまでの間に飲んだ酒に酔い、その進行方向右側の道路側端から約1.27メートル内側の附近を歩行していたもので、被害者にも落度がないとはいえないこと、被害者の遺族は、事故直後から被告人に対し重い処罰を望んでおらず、その後、被告人は、遺族と示談し、合計一、〇一〇万円余を支払つていること等の情状が認められるので、以上の諸点を合わせ考慮し、主文のとおり量刑する。 (伊澤行夫)